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日本スポークンワーズ協会

声と言葉の、明日へ。

【特別企画】 川原寝太郎 川島むー ロングインタビュー

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2019年の「ポエトリースラムジャパン」全国大会に優勝し、今年5月にオンラインで催された世界大会に出場した川原寝太郎。
「詩のボクシング」「ポエトリースラムジャパン」の両大会でファイナリストとしてステージに上がった川島むー。
大阪を拠点に活躍する2人の朗読詩人に、朗読・詩作・スラムについて余すことなく語っていただきました。
(2019年12月26日 大阪心斎橋にて収録 聞き手 URAOCB)




僕が読んでいる最中に観ている方がガタッと身を乗り出すのが見えたんです。それが今までの人生で無かった経験で、「人前でやるのも結構楽しいな」って思って。(寝太郎)



― すいません、2マンライヴの前という、お忙しい所をお呼び立てしまして。

むー もう、ピリピリしてます(笑)。ピリピリし過ぎて笑いが止まらない。

寝太郎 私は、心斎橋が生理的に苦手でピリピリしています(笑)。

― 大阪にも沢山の朗読をされる方がいらっしゃる中で、ポエトリースラムジャパンの全国大会に出演された経験があるお二人にお越しいただきました。まず、人前で表現をしようと思い立った経緯からお伺いします。

むー 元々文章を書くのが好きで、小学生の時は新聞に詩を投稿して毎日小学生新聞に載せてもらったりして、良く分からないまま「詩人になる!」って言ってて。中学・高校の頃も書いていました。高校生の頃、産経新聞の一面に「朝の詩」っていう詩の投稿欄が始まって私の好きな新川和江さんが選者をされているということで2年間詩を送りまくったんですが、一度も採用されず、しかも大学に入ってみると文学部だったので周りが文章を書ける人ばっかりで「自分の文章って面白くないんだな」って思って。大学でお芝居も始めたし、私は人の作品を読む方がいいんじゃないかと。私は素敵な詩を読めればいいんだわって思っていたんだけれども、芝居を続けていてちょっと身体を壊して劇団でやっていくのがしんどくなったりした時期に、テレビで「詩のボクシング」を観たんですね。

― それはいつ頃の話でしょうか。

むー 本田まさゆきさんが優勝された時(2003年)かな。「詩のボクシング」は、決勝戦が即興じゃないですか。それを観た時に「あれ?これは今自分がやっていることと一緒だ」と。十数年芝居をやってて分かったのは、役者って自分の言葉が無いと自分の中からちゃんと言葉を作れないと駄目なんですね。セリフのお稽古は勿論あるけれど、普段の訓練はほぼ即興なわけですね。ひとりでやることを模索していた時期で、これは私できるんじゃないかと。丁度「詩のボクシング」が次の大阪大会の募集をしていて、そこに応募して予選を通って本選に出て、2回戦で負けたんですけど、その時のお客さんの反応がすごく良くて。審査員の判定に凄いざわめいて、これは勝敗が分からないくらいの僅差だったんだなって。負けたけど否定された感がなくて、終わってからの講評の時も審査員の方から「ベストマッチだった」と言われて。ジャッジというものに幸福な出会いをしたと思います。それから書くということにエンジンがかかって、次の年の「詩のボクシング」で大阪代表になりました。

寝太郎 僕の場合は、いきなり詩なんですよ。それも、朗読が最初で。元々は全く書いてなくて、高校三年生の時に裏方で演劇を手伝っていたくらいで。

― 朗読を始めたのはいつですか?

寝太郎 大学生の時ですね。2000年かな。たまたま小中の時の先輩が同じ大学にいて、「お前、その腐らせている捻くれた感情を詩に書いてみろ」って言われて。僕、無趣味の癖に口だけは達者で、判りやすくこじらせている若者だったので。「とりあえず、これに来い」と言われて朗読会に行ったんですよ。当時「詩のボクシング」も全盛期なので扇町の地下のバーに50人くらい集まって、入れ代わり立ち代わり朗読するという、それが「ポエトリーリーディングの夕べ」というタイトルだったかな。それを主催していたのが、平安女学院大学の助教授だった平居謙(詩人 オンラインジャーナル「新次元」プロデューサー)さんで。当時僕は家にあった谷川俊太郎さんの詩集をペラペラめくるくらいで全然詩のことを知らずに行ったんですけど、今思うとその朗読会がレベル高かったんです。上田假奈代(詩人 ココルーム代表)さんだったり、魚村晋太郎(歌人)さんだったり、錚々たる面子で。「これ、面白いけどとてもこんな詩は書けないなあ」と思っていたところで、フラリと池上宜久さんが上がってきて、後から聞いたら池上さんもそこで初めて朗読したそうなんですけど、「日本人なら誰でも知ってる波平の毛」って言い出して(笑)。「こっちなら、ひょっとしたら書けるかも」と。とっつきやすかったんですね。

― その時、ご自分で初めて読んだ詩は覚えていますか?

寝太郎 それは覚えてないんですけど、次に作って読んだのが『/(スラッシュ)』という短い詩で、ひたすら「斜線を引く」って連呼するだけのやつですけど、初めに作ったにしては良く書けたなというくらいまとまってて、僕が読んでいる最中に観ている方がガタッと身を乗り出すのが見えたんです。それが今までの人生で無かった経験で、「人前でやるのも結構楽しいな」って思って。その後、当時平居先生が夏休みの1週間くらいで単位互換性の授業をやってて、他所の大学生も受けられるので行ってみたら「ここで「詩のボクシング」をしてもらいます」って。それも結構面白かったんですよ。実際毎年その講座が終わると、そのまま「詩を続けようぜ」って人が10人くらいいて。未だに詩を書いている人もいますね。



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「JET POET ~即興の音楽と詩の朗読の宴~」での川島むー。2018年8月、高田馬場JET ROBOTにて。



「詩のボクシング」の大阪大会は、中途半端に笑いを狙うと駄目だという。ポエトリーリーディングにお笑いを求めていない。お笑いはお笑いの舞台があるから、そこで勝負されても困るみたいな。(むー)




― 寝太郎さんが、実際に「詩のボクシング」の公式大会に出られたことはありますか?

寝太郎 1回だけ。むーさんが大阪大会代表になった次の年(2005年)に。その時はあっさり負けましたね。「詩のボクシング」って小道具とか衣装に寛容じゃないですか。それを利用して、紙に大きな文字で詩を書いて首から下げて見えるようにして。あれは逆効果やったなあ。普通に朗読していた人にあっさり負けてしまいまして。ちょっとどうしようかなあと思っているところに、スポークンワーズスラムが京都にもある(京都スポークンワーズスラム 略称KSWS)という話を聞いて。結局そちらの方に重点を置くようになって、「詩のボクシング」は1回切りですね。

― そのスラムの時に、初めてchoriさん(詩人 KSWS主催 ポエトリースラムジャパン2019大阪大会優勝)にお会いしたんですか?

寝太郎 もう少し前ですね。choriが平居先生の授業にフラっと来ていたことがあるんです。当時まだ高校生で、既に文学賞を取ったり自分でイベントを立ち上げたりしてて。その時はもう、向こうはブイブイ言わせているし、接点はあまり無かったんですけどね。

― KSWSに行って、きちんと知り合った感じですね。

寝太郎 KSWSの途中でchoriが「ポエトリーをやっている人間を集めたワークショップをやりたい」と言い出して「花形朗読詩人会ENTA!」というのを作って。その中で今残っている人で言うと、河野宏子さんとか、タムラアスカさんとか、にゃんしー君とか。オープンマイクの方は、平居先生「ポエトリーリーディングの夕べ」をやられていたのが2002年までで、辻本真孝さんがシングルズというお店で「朗読BAR」を始められて。東梅田界隈を中心にオープンマイクが定期的に続いていた流れがありますね。

― 東京でもポエトリーリーディングの盛り上がりがあった同じくらいのタイミングでしょうか。

寝太郎 多分そうなんだろうと思います。

― その当時、大阪と東京の交流はありましたか?

寝太郎 人によりますね。僕は全然なかったんです。choriは頻繁に行き来してたみたいですけど。

むー 私は2007年から関東に行ってるから、大阪にいた時は「詩のボクシング」以外が全然分からなくて。「詩のボクシング」で繋がった池上さんや辻本さんの流れでシングルズに行くようになって。

寝太郎 あくまで僕の感覚ですけど、2009年で関西のポエトリーリーディングのイベントの流れが途絶えかけた時がありまして。多分オーガナイズをやっていた人たちが相次いで離れていったというか。choriがイベントをやらなくなったり、平居先生が書く人間を育てる方向にシフトしたり。僕は丁度朗読から離れていた時期で、2009年から2012年くらいまであまり活動していなかったんですけど。

むー 詩ボクの大阪大会も、その辺で終わったかな。たまたまそういうのが重なった。

― 寝太郎さんがその時期に朗読から離れたのは、何か理由があるんですか?

寝太郎 単純に私生活が忙しくなったのがありますね。はっきり言うと、僕本当に真面目に詩を書き出したのがこの4・5年なんです。最初の10年くらいは月1本書いてたら良い方で。朗読をするためだったり、平居先生の講座の締め切りだから書いておこうとか。単発で面白い物を書いても、どうやって書いたのか後で自己分析ができてなくて、続かないことが当時非常に多くて。時々単発で面白いものを書いてしまって、そこそこ面白いと言われるんで、普段どれだけ「つまらん」って言われてもまた書きたくなってしまう。ギャンブラーみたいな感じで、凄い不健全な詩人だったんですよ。

― むーさんは、大阪から関東に来られたのが、朗読を続ける転機になったわけですね。

むー 家族の転勤なんですが。芝居の方は、二十代の後半に東京の演劇学校やワークショップで一年半勉強してたし、全く東京を知らなかったわけじゃないし、これは良い機会かもしれない、試してみるチャンスかもしれないと思って。その時に「詩のボクシング」があったのが心強かった。とりあえず出ればいいやって。「詩のボクシング」に行くと、「大阪の川島むーさん」って言ってくれる人がいて。役者で踏み出すよりハードルが高くなくて入りやすかった。芝居の方も、大阪大会で優勝したことから「ひとりでやっていこう」と思って「お茶祭り企画」を立ち上げました。朗読とお芝居がほぼ渾然一体となって始まっている感じです。

― 僕が東京で朗読のシーンに通い出したのが2009年くらいなんですけど、その時に通っていたポエトリーのイベントで、むーさんがゲストライヴに出演されていて。当時、ステージをこなされる回数が多かったですね。

むー 大島(健夫)君と出会ったのが2007年の「詩のボクシング神奈川大会」で、そこにZULUさん(鶴山欣也 舞踏家・詩人)も来てて、黄昏龍生君(僧侶詩人 北海道在住)とかTASKE君とか晴居彗星君(2007年詩のボクシング全国大会チャンピオン)もいて。そこがきっかけで私と大島君と黄昏龍生君が「JET POET」(原宿JET ROBOT/現高田馬場JET ROBOTで催されている即興音楽と詩のオープンマイク。主催 鶴山欣也)に出入りするようになって、そこから大島君は「Poe-tri」(池袋tri-3で催されていた朗読のオープンマイク。2012年まで開催)を立ち上げてという流れがあって。「Poe-tri」は最初お客さんが全然いなくて、それでも毎回ゲストを4組呼んでたから。ほぼ2回に1回は私がゲストに入るみたいな。あの状況の中で大島君が続けていたから、今に繋がったんだろうなと思う。そうこうする間に2008年の「詩のボクシング」神奈川大会で優勝させてもらって。

― 東京は東京で、ポエトリーのシーンが変化する時期でしたよね。

むー 私は外様だったから良かったんじゃないかな。「詩のボクシング」の繋がりだけでやってたし、「JET POET」も(東京のポエトリーシーンとは)違う流れにいてZULUさんは、海外で観てきたことをやろうとしてたから。そこから私は広がって行った感じです。

― 寝太郎さんが再び読み始めたのはいつからでしょうか。

寝太郎 2013年くらいですね。当時時間ができたタイミングで「何もやることないし」って感じでした。その時はオープンマイクが「屋根裏ポエトリー・ナイト」(2015年までCafé&Bar朱夏で催されていた、ピアノと詩の朗読によるオープンマイク)しか残ってなくて、そこからポエトリーを始めましたという人が多かったですね。僕が最初に行った平居先生のイベントにもいて、その場にいるのは池上さんや辻本さんくらいで。

― YouTubeに残っている「屋根裏ポエトリー」の動画を拝見すると、待子あかねさん(詩人 BAR FLEXにてポエトリーライヴイベント「TOY BOX」を主催)やタムラアスカさんも参加されていますね。

むー 2016年末に大阪に戻ってきた時「これからどうしよう」と思っていたら、「TOY BOX」に出演しているメンバーが昔と変わっていなくて、おやっ?って思った。

寝太郎 「TOY BOX」に出演されているのは「詩のボクシング」の流れを引き継いでいる人達ですね。「屋根裏ポエトリー」と「TOY BOX」が両輪で大阪のポエトリーを回している時期がありました。

― 大阪には漫才や演芸がある中で、朗読をやる時に難しさというのは無かったでしょうか。

むー 私はそんなには別に思ってないんだけれども、ちょっとテキストを書けたりする人が詩の方には来ないだろうなと。表に出るか書く方かは分からないけど、お笑いの方に行くことが多いかな。

寝太郎 僕は元々喋るのが凄い苦手なんですよ。人とコミュニケーションが取れないところがあって。お笑いは基本コミュニケーションじゃないですか。詩のいい所って必ずしもコミュニケーションじゃなくてもいいみたいな。「何だこれ?」みたいなもので終わっても後から思い出して「変わってたな」ぐらいでいいので。そういう意味でもやり辛い土壌はちょっとあるかもしれない。大阪の場合ライヴはコミュニケーションという感じがあるので。大阪のミュージシャンと知り合った後でそれ以外のミュージシャンのステージ観たら「あんまり前説せえへんのや」とか(笑)。大阪のミュージシャンはプロもアマチュアでも前説に凝りまくる人がいるので。

むー 逆に「詩のボクシング」の大阪大会は、中途半端に笑いを狙うと駄目だという。ポエトリーリーディングにお笑いを求めていない。お笑いはお笑いの舞台があるから、そこで勝負されても困るみたいな。

寝太郎 反対に大阪の方がポエトリーやる人は真面目な場合が多い。基本お笑いを選らばなかった人たちが来ている部分はあったんですよ。

― そういうストイックな状況の中で続けていったり、場所を作ることは大変だなと思いますね。

寝太郎 僕は場所を作り始めたのがこの数年で、正直(場所を作る)人がいなくなったというのが大きいので。元々朗読会に行って、端っこの方でちびちびお酒を飲んでステージだけ上がって帰るみたいな奴だったんで。意識し始めたのはこの5年くらいですね。後、守山ダダマさん(詩人。東京在住。「撫読」を提唱し全国でライヴ活動を行う)の影響があるかもしれない。あの人が大阪で自分がやってるような立ち位置を東京でされてるなあと。ありがたいのは、あの人は東京から来て勝手にネットワークを作っていくんですよ。一時ダダマさんが大阪で二か月に1回くらい主催イベントをやっていて、オープンマイクに参加したら、ダダマさんの知り合いの大阪のミュージシャンと仲良くなったりするんですよ。そこでお店を教えてもらってライヴに出るようになって。

― 2015年に「ポエトリースラムジャパン」が始まって、2017年に「ウエノポエトリカンジャム」が開催された辺りから、東京とか大阪とか名古屋とか色んな場所でやっていた人たちが交流を持つ機会ができましたよね。

寝太郎 「詩のボクシング」もスポークンワーズスラムもそうだったんですけど、界隈の外とのチャンネルを作っていただく機会って非常にありがたいです。

― むーさんは、東京と大阪を行き来されているので、色々な面をそれぞれの場所でご覧になってますよね。

むー 東京は、とりあえずどこかしらで何か(イベントが)あるだろうなっていう。ここ最近それぞれが企画してやってるなという面白さがあって。大阪では最近オープンマイクが少なくって場が無いなあ、どうしたらいいだろうというところで、ここ1年関わることの多かった演劇の人達に「こういう世界があるんだよ」ってポエトリーリーディングのオープンマイクの話をしたら興味を持ってくれて、今は月1回その人たち(演劇ユニット移動祝祭日)が箕面市の「桜井市場」にある小さなスペースで朗読イベントをやっているんですね。8人くらいしか入らないスペースでオープンマイクとはまた少し違う雰囲気で。



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2018年に催された「ウエノポトリカンジャム6」。イベント内企画「路上ポエトリースラム」で勝ち上がった2人は、上野公園水上音楽堂のステージで決勝を戦った。



芝居にしても詩にしても、体育会系じゃないものって勝負事がない。演劇はコンクルールがあったりするけれど、直接ガチでぶつかることはない。勝負から受ける刺激が面白いなと思って(スラムに)参加している部分があって。(むー)



― お二人は2017年にポエトリースラムジャパン(以下PSJ)の全国大会で大阪代表として出演されているわけですが、印象に残っていることはありますか?

むー 私はフワフワしてたから。大阪に戻ったところでいきなり優勝して、しかも会場の「花伝舎」って演劇で関わっていた場所だから変なテンションでいっちゃって。もうちょっと落ち着いてやれたら良かったのかなあとか。

寝太郎 僕はガッチガチでしたね。あのサイズの会場で朗読したのが「詩のボクシング」以来で、自分の声がどう響いているのかも全く分からなくてなんとなくやってしまって。色々と空回ってたなあと。演劇みたいな訓練を全然していないので、途中でメンタルが崩れると立て直せないんですよ。

むー 私は、自分のパフォーマンスよりも、やるだけのことはぶつけていたんだけど、「何か届いていかないなあ」ってしんどかった。終わって本当にグッタリした。

― むーさんは「詩のボクシング」での経験もあるし、こういう大きな舞台は強いだろうなあと思っていたんですよね。

むー いやあ(会場になった)体育館はきついです。客席と段差があるし、客席がひな壇ではないから「遠いなあ」という感じが。ただ、「詩のボクシング」でもPSJでもありがたいのは、毎回声をかけてくれるお客さんがいるのが本当救われます。自分が凹んでいる時に「私、あなたの作品が良かったです」って言われて。あなたは神様ですか?って。


寝太郎 ポエトリースラムは、場の空気の方向性が始まってみないと分からないというのが、それまでのイベントとは違うのかもしれないです。

― 確かにスポークンワーズスラムは会場が固定されていましたし、「詩のボクシング」は公的な場所が会場でしたね。

寝太郎 それまでのイベントは「こんな空気の中でこういった表現が評価されるのだろう」っていうのが予め読めるんですけど、PSJに関しては1回戦を一通り見て「ああ、今日はこういう空気かあ」と。

むー 分かった時には、もう自分が落ちていたり。

寝太郎 だから、クジ運が重要です。

― 2019年のPSJでは、大阪大会の決勝に寝太郎さん、choriさん、タムラアスカさんという同期と言って良い方々が揃いましたね。

むー そこに残れなかった自分が凄い悔しくて。

― どのようなお気持ちで、決勝をご覧になってましたか。

むー そこで一緒に戦いたかったなというのは思った。芝居にしても詩にしても、体育会系じゃないものって勝負事がない。演劇はコンクルールがあったりするけれど、直接ガチでぶつかることはない。勝負から受ける刺激が面白いなと思って(スラムに)参加している部分があって。ライヴとか芝居とは全然違う緊張の仕方をして足が震えるし。悔しい反面、その結果自体には納得してたし、決勝でそれぞれがちゃんと魅せてくれてて、初めて観た方にきちんと「これだぜ」ってものを示してくれたのが、朗読に関わっている人間として凄く嬉しかった。

寝太郎 やっている方は、結構複雑でしたね。勝ちたいという気持ちもあったんですけど「choriに勝ってほしい」という気持ちもちょっとあって。彼が2015年のPSJに出て負けてしまって以来、久しぶりにスラムの場に復帰という感じで、関西のポエトリーも世代交代していてchoriのことを知らない人も多かったんですね。本人もそのことを強く自覚しているみたいで、本気で追い込まれてやっていただろうなって。勝ってほしいなという気持ちもありつつ、僕自身も本当に勝ちたかったし。この2・3年でようやくまともにライヴをできるようになったという感覚がありまして。声の出し方とか、お客さんの顔が見れるようになったとか、お店の方とかお客さんからダメ出しをもらったり、発声練習を教わったりしてたんですよ。あと、ライヴバーに知り合いができると、小さいところってミュージシャンじゃなくてもライヴをさせてもらえるんですよ。それに気づいてから年間100回くらいライヴバーに出てたりした時期があって、そこでマイクの使い方とかが段々できるようになって。そのノウハウをようやく詩のイベントに応用できるようになって、ようやく今回勝ちにいきたいなあと思えた感じで。今までは勝負に対して腰が引けてるというか。

― 全国大会を見ていても、それは感じましたね。あの場だけではなくて、経験に裏打ちされたものだったんだなと、今のお話を聞いて分かりました。

寝太郎 対戦相手を意識してる方がお客さんに対して気楽になれるんです。「お客さん対自分」って考えるとプレッシャーになるんですけど、対戦相手を意識していると、お客さんは味方につける対象になるので、そっちの方が気楽に構えられるんです。

― ある意味客観的になったということですよね。ちゃんとお客さんが見えるようになったということでもありますよね。

むー ここ数年(寝太郎さんと)同じ場にいて「凄いな」って最近感じる。テキストの良さは勿論あるんだけど、伝え方の力が凄い上がったなっていう。

― 全国大会は予め準決勝の組み合わせが決まっていましたが、同じような心構えで臨まれたのでしょうか。

寝太郎 事前にYouTubeで(対戦相手の)動画を探しました。イメージトレーニングしとこうと。動画が無い方もいたし、実際ステージ上とは(パフォーマンス内容が)違う方もいたんですけど「やらんよりはがマシ」ぐらいのノリで。

― 事前に準備して、脅かされることは無かった感じでした?

寝太郎 意外と無かったですね。でも正直、組み合わせが良かったのもありましたし。最後の方やったから冷静に見てられた。正直(準決勝の)1回目は滅茶苦茶緊張しましたけどね。緊張しているから『営業下手の向井さん』という作品を読んで、あれは話者がガチガチに緊張している設定だから、やりやすかったという。

― その辺りの考え方って色々で、勝負事だから緻密に考える人もいれば、大きな舞台だから自分がやりたいことをやる人もいますよね。

寝太郎 実は(準決勝)2回目のネタを変えたんですよ。事前に会場の空気で作品を決めるつもりで、「でも迷うこともあるだろうな」と。迷った時の想定で用意していたのが2回目に読んだ作品だったんです。今まで直前に「作品を変えよう」と思って選択ミスをしたことが何度もあったので、選択ミスをする自分を想定しておくという。



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ポエトリースラムジャパン2019全国大会。川原寝太郎は準決勝を1位通過し、決勝では最後にパフォーマンスを行った。(撮影:佐藤yuupopic)



本当のことを伝えたい詩人と、嘘をつきたい詩人がいるなって思うんですよ。僕は全力で嘘をつきにいきたいんですよ(笑)。「世の中の人を騙しきったら、俺の人生は成功したな」くらいの。(寝太郎)



― 全国大会のステージに立って感じたあの日の空気は、いかがでしたか?

寝太郎 最初に思ったのが、会場が大きい割にはお客さんの息遣いがあるなあという。顔も見えるなあって。そういう意味ではやりやすかったですね。じゃあ朗読会の空気かといえばちょっと違うなと。

むー 客席があのサイズ感(観客数110名)でちゃんと埋まっている。お客さんでいても居心地はいいし、舞台に立った時にも凄く気持ち良いだろうなあと思って。

寝太郎 対戦相手との比較の話になると、飯塚隆二さん(前橋大会代表 全国大会2位)の存在は結構大きかったですね。決勝に入った時に飯塚さんか僕が勝つ流れがどこかにあったかなあと。Aブロックで僕がやっている感じとBブロックで飯塚さんが、あの訥々とした感じで笑えるようなくすぐりを含めて。彼が作っている空気に僕もうまい感じに乗れた気持ちもあるんです。最終的にお互いが出す空気で勝つのはどっちだという感じで、(決勝の朗読順を決める)じゃんけんで、僕が勝ったというのが大きかった気がします。

むー あのじゃんけんで最後を取った段階で「これいったんじゃない?」って。


― 今まで優勝されている中で、大島健夫さん(2016年)、中内こもるさん(2017年春)も決勝は最後の順番でしたね。

寝太郎 そうですね。

― もっと言うと、岡野康弘さん(2015年)を含めて、今申し上げたこれまで優勝された方と寝太郎さんには共通した部分を感じるんですね。大雑把に言うと「自分語り」をしない感じがしていて。きちんと世界観を構築して読んでいる方が強いなという印象を持っているんですね。この何年かでスラムで「自分語り」をされる方が凄く増えてて、観客にプレーヤーが多い地方大会では評価を受けるんですけど、全国大会で初めてご覧になる方もいる場所では、飯塚さんや寝太郎さんみたいな、自分の世界観を構築している人が勝っていくんだなと思いましたね。

寝太郎 作風はバラバラでもポエトリーをやってる人を大雑把に分けると、リアルを語りたい人とフィクションを語りたい人の2種類になると前から思ってて。「ウエノポエトリカンジャム」でも、あんまりお客さんが埋まってなくて詩人とかラッパーが見に来ている時間帯だと「リアルの俺」みたいな人に会場が熱くなったりするのが、逆に一般のお客さんが入ってくると、エンターテイメントとして構築している人が有利になる部分が。

むー 自分をネタにする作品って、なるべく「私が!」にならないようにしようとは思う。どこかズラしたいとか、ねじりたいとか。

寝太郎 本当のことを伝えたい詩人と、嘘をつきたい詩人がいるなって思うんですよ。僕は全力で嘘をつきにいきたいんですよ(笑)。「世の中の人を騙しきったら、俺の人生は成功したな」くらいの。

― それは、詩人らしいなと思いますね。

寝太郎 choriの隣にいたので「こんな俺が詩人でいいのか?」って。関西は嘘つきたい人は落語とかにいっちゃうんで。

― 言葉って本来重層的なものだから、本当のことか嘘かなんて、それぞれの人が感じることでしかないですからね。

寝太郎 逆に嘘をついている以上、本当だと思ってもらう必要があるので。

― 寝太郎さんの作品って、誰がどのように受け取るかを委ねるじゃないですか。それは昔からでしょうか。

寝太郎 自覚的にやりだしたのは、活動を再開してからなんかなあ。基本的に、自分というものを人に見せたくないところがあるんですよ。極力自分の本質的なと部分は隠しておいて「虚構の寝太郎をお楽しみください」みたいな。よく「お前あざといな」って言われるんですけど(笑)。「襟つきのシャツを着てちゃんとした風にふるまうのはあざといな」とか言われるんですけど。昔は自分を分かってもらうための詩を書こうとしたこともありましたけど、やっぱり性に合わないんでしょうね。フィクシションを書いてる方が好きで。

― 単純なフィクションではないですよね。何かを掴んだり、当てているから皆さんが反応されたんでしょうし。

寝太郎 それこそ、むーさんの作品も限りなく実体験に近い形に聞こえるように構築されているところはあるなと思いますね。


むー 「これ全部本当か?」と思われててビックリしたことはありますね。そんなわけないだろうって。

寝太郎 「苦労されてるんですね」って言われることがあって、別にしてない!(笑)。書いたのは俺やけど、ちょっと罪深いことをしてるなって。


むー ちょっと甘めの作品が(自分の)シリーズであって、それを知っている人からは「いいですね、幸せで」みたいな。「すいません。苦労を前面に押し出す詩を書きたいわけではないので」みたいな。「笑い飛ばしてますけど、書きましょうか?黒歴史」みたいな。たまに思う時があるけど。チラッと入れることはあるけど、傷を舐める詩を書きたくない。

寝太郎 僕がテキストの方の人とも繋がりがあったというのがあるかもしれないです。詩の同人誌とか勉強会で自分語りを出しても面白いかというと、そこは作品としてちゃんと構築してこいと言われるわけです。僕の師匠は、パッと読んでテーマが分かるものは面白くないっていう人で、「読み解く楽しみを読者に与えろ」っていうのはずっと言われていたんです。その辺の影響はあるかもしれないです。

むー 私は朗読を伴う表現で詩に戻ってきて、「芝居みたいですね」「落語みたい」って言われて。ただ、元々は紙に書くことをしていて投稿もしていたから、テキストを評価してもらいたいという気持ちもあるんですね。「役者やってるから」とか「読み方上手いですよね」って言われると「私テキストもちゃんとやってるんですけど」ってなるから、たまに投稿したりする。



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ポエトリースラムジャパン2019全国大会。2回目の全国大会出場となった川原寝太郎は、激戦を制して見事優勝を飾った。(撮影:佐藤yuupopic)


― 寝太郎さんはポエトリースラムワールドカップに出場されますけど、世界で朗読される想定は今あるでしょうか。(注:インタビューを行った段階では2020年5月にワールドカップがフランスで開催される予定だったが、コロナウィルスの流行に伴いオンラインでの開催に変更された。)

寝太郎 正直、まだイメージできないところはありますね。とりあえず英語に訳してもらって、どの作品がいけるかどうかその選択をする段階です。

― 世界各国から集まって来られるので、選ぶ詩の内容にも制限がありますよね。

寝太郎 例えば、野球ネタが駄目なんですよ。通じないネタが幾つかあるのと、単純に日本語ができない環境に出ていくのが詩人として初めてというのが、どうなるんだろうと。変に先入観を持っても違うことになるんだろうなあと、そのくらいの気持ちで。

むー 寝太郎君の詩は、リズムがあると私は思ってる。だから、言葉として音として楽しんでもらえると。

― 優勝してから、周りの反応が変わった経験はありましたか。

寝太郎 現時点ではまだ。強いて言うなら、今まで僕が何をやってるか興味が無かった人が声をかけてきたりすることとかはありますね。親戚が突然「どんな詩をやっているんだ?」とか。

― これからも、今行っている活動を継続していくことが重要ですね。

むー ただ、もうちょっと詩人として大阪での活動を広げられないかなと思って。詩を出す場が少ないことのフラストレーションがあって、東京だと毎月場があったけど、それがないので。chori君が京都で始める(ポエトリーナイトフライト 2020年1月より開催)ので、それは楽しみかな。

寝太郎 自分で「眠たいこと言うな」というオープンマイクを始めたのが4年前なんですけど、「場を作る側の人間ではないな」と思ったんですよ。自分の外側に場という物を設定して、外側から適切に手入れして育んでいくみたいなタイプではないなと。じゃあ何ができるんだろう?っていう時に面白いものを作ることしかできないから。逆に言うとそこを求心力にして何かやっていける部分があるのなら、引き続き頑張らないかんなと。

むー 全国大会チャンピオンという肩書が生きている限り、利用しない手はない。

― PSJは今回で終了なので、ずっと肩書が残るわけですからね。

寝太郎 とりあえず、まずは今夜のライヴを頑張ります。






川原寝太郎
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1981年生まれ大阪在住。2000年頃から関西の朗読会でポエトリーリーディング(声に出す前提の詩の創作と朗読)を始める。
SNSで詩を発表しつつ各地でライブを行う。シュール・ネガティブ・ナンセンスに特徴づけられた世界観を畳みかけるような言葉で発する作風から「後ろ向きの全力疾走」との異名で呼ばれる。
2019年ポエトリースラムジャパン優勝。
2019年完成予定だった詩集を現在も鋭意製作中。




川島むー
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大阪生まれ、大阪育ち。役者。お茶祭り企画主宰として、主にひとり語り芝居を上演。詩のボクシング大阪大会・神奈川大会優勝、PSJ大阪大会優勝の戦歴を持つ朗読詩人でもあり、表現教育ファシリテーターとしての顔も持つ。


(プロフィール写真撮影:青木光男)



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